まだまだ建築中ですが、どうぞご利用ください。
 また、不適切/不充分なところ・間違い・新しい情報などがありましたら、当教会牧師まで お知らせください。
   (メールmasaki.tomita@kori.doshisha.ac.jpまで)。

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〔最終更新日:2008年4月10日〕

 基礎知識編

【釜ケ崎って、どこにあるの?】
  JR環状線「新今宮」駅南側の一帯。
  行政区分で言うと大阪市西成区萩之茶屋1〜3丁目にあたり、北をJR環状線、西を南海電車、 東を阪堺電軌、南を旧市電跡地で包囲された一帯を、通称「釜ケ崎」と呼んでいます。 「釜ケ崎」というのは古くからのこのあたりの地名です。
 (写真はJR「新今宮」駅から南側正面の職安を臨んだもの。1階ピロティ部分が早朝、労働者 市場になる)


【釜ケ崎って、どんな所?】
  1960年代以降、万博をきっかけに始まった建設ブームに伴い、 建設労働者の街として一時期は賑わいましたが、高度成長期が終わるにつれ、 使い捨てのできる安い労働力をためこんでおく街という扱われ方をされてきました。
  特にバブル崩壊後、倒産・リストラ・差別などで失業した人たちが、 日雇い労働による日銭を求めて集まってくるようになりましたが、 不況で建設需要も冷え込み、現在では仕事にアブレた労働者が町にあふれる光景も 珍しくなくなってしまいました。
  仕事につけない労働者は、食事も充分とれず、アオカン(野宿)で夜を過ごし、 体を壊す人もたくさんいます。冬は行路病死(ゆきだおれ)する路上生活者が 毎年300人を超えるといいます。越冬は釜ケ崎の人には生き残りの闘争なのです。

【いこい食堂について】
  「いこい食堂」は、 1971年から、金井愛明牧師(日本キリスト教団西成教会)の呼びかけで、 「きつい生活を強いられる労働者の方に、少しでも安くて栄養のある食事を」と始められた 「食堂」(当初は「食堂今宮」と言いました)ですが、仕事につけない労働者の増加に伴い、 約5年前ごろから炊き出しの方が主たる活動になってきました。
  いこい食堂の活動が炊き出しオンリーになったのは、阪神淡路大震災の年(1995年)からですが、 1993年ごろから炊き出しに並ぶ人の数は増え始め、震災の前年では1000人を超えていたと言います。
  (さらに詳しくは、【金井愛明牧師について】の項をご参照ください)

【金井愛明牧師について】
  1956年、金井愛明さんは 同志社大学神学部の大学院時代、1年間休学して関西労働者伝道委員会の実習生として 労働問題に関わり始めました。
  大学院を卒業してからは、委員会の専任者として労働運動に参加しますが、 そこで堺のコンビナートの労働問題に出会います。ほぼ全工程が機械化された大企業の現場で、 一部だけ手作業の、危険な、しかし重要な工程に、服装も作業内容も全く異なる低賃金の労働者が 働いている現実に、金井さんは不可解なものを感じます。
  金井さんは、その日雇い労働者たちが、大阪の寄せ場「釜ケ崎」から来ていることを知り、 金井さん自身も、単身、釜ケ崎に住み、自らも日雇い労働者となって、日雇い労働者の問題に 取り組み始めました。日本経済が高度成長時代へと突入してゆく、1967年のことでした。
  やがて、家族も釜ケ崎にやってきましたが(1971年)、その時、一緒に住む場所を提供してくれた のは、ドイツからの宣教師E.ストロームさんでした。
  釜ケ崎で働くキリスト者たちが協力してできた、エキュメニカル(超教派的)なグループ、 釜ケ崎キリスト教協友会(その前身は、1970年12月に成立)と協力しながら金井さんは、 釜ケ崎の根深い問題に、試行錯誤しながら取り組みました。子どもの問題、医療問題など……。
  そして落ち着いたのが、労働者の「食」のことを考えた食堂でした。1971年7月、 「赤ひげ」と呼ばれた本田良寛医師の「労働者のために安くて栄養のある食事を」との勧めで、 「食堂今宮」を協友会で共同オープン。その後は1974年ごろ以降、金井さんの「いこい食堂」、 フランシスコ会の「ふるさとの家」などに展開し、協力しながらそれぞれの活動を行なっています。   「いこい食堂」は、それ以来、金井さんが健康を害し、無理ができなくなった1995年まで 続けられ、それ以降の活動は炊き出しにしぼられました。
  無理がきかない体とはいえ、それでも金井さんは日本キリスト教団西成教会の 責任を担いながら、食堂を提供し、諸教会の協力をえて、失業で野宿を強いられている労働者の 支援に一役かっています。
  金井さんは、釜ケ崎の日雇い労働者と共に生きることを喜びにしているのです。
  (小柳伸顕氏「日雇労働者の町釜ケ崎の金井愛明さん」より抜粋、 釜ケ崎伝道所・米加田周子牧師の助言により補筆)

【追記】
 2000年、金井愛明牧師は、同志社大学より、名誉神学博士号を授与されました。
【追記】
 2007年11月12日、金井愛明牧師は亡くなられました。
 「孤独に死に、誰からも弔ってもらえない、ひとりひとりの労働者と共にありたい」という故人の遺志で、葬儀や告別式といったものは一切出されませんでした。
【いこい食堂と同志社香里の関係について】
  同志社香里中高釜ケ崎ボランティアは1994年7月13日、山田正夫元校長(当時教頭)の 呼びかけから始まり、以来「いこい食堂」の炊き出しのお手伝いを行ってきています。
  きっかけとなったのは、学校のロング礼拝で奨励者として来られた金井愛明牧師が「とにかく米が足りないのだ」と訴えたことに始まります。これに応えよう、と「献米」そして 「炊き出し」のお手伝いに加わらせていただくことになりました。
  他にも学校関係では、大阪女学院中高と神戸女学院中高が、年に1〜2回いこい食堂のお手伝いの ボランティアに入っています。

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   (三十番地キリスト教会牧師 on line/同志社香里中高聖書科教諭 off line:富田 正樹)

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