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 「KAMA−LEXICON: は行〜わ行に進む

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〔最終更新日:2009年4月11日〕


あいりんセンター 〔Airin-Center〕
 職安のこと。JR/南海「新今宮」駅南正面の、あいりん公共職業安定所。
 早朝5時ごろには、1階ピロティにライトバンやトラックが乗り付けて、労働者の市場、つまり「寄せ場」となる。ここで売れ残るとアブレとなる。

アオカン 〔aokan〕

 「易宿泊所」の略。つまり野宿の事。野宿生活で生きている人のことが、それ以外の人から「ホームレス」という言い方で呼ばれることもある。
 ドヤやアパートで寝るのに比べ、明らかに体力や健康を損なうため、寄せ場で仕事を得るには不利になる。もちろん体を壊しても治りにくいので、いったんアオカン生活に陥ると、なかなか這い上がれない。
 寒風吹きすさぶ真冬には、命がけのサバイバルとなるため、むしろ夜は寝ないで歩き回り、昼間に仮眠をとる人もいるが、そういう事をするとますます健康を害し、仕事も得にくく、ますます死への悪循環がはまる危険性が高まる。
 夏は夏で、人びとの夜の動きが活発。特に昨今は「オヤジ刈り」と称して、野宿者を襲撃する者が頻繁に出現するため、命の危険にも常にさらされる状況である。(2003年5月4日)

アブレ 〔abure〕
 その日一日仕事につけないこと。仕事に「アブレ」る。寄せ場で雇われずに残ってしまい、一日を無為に過ごさざるを得ない状態。
 景気が悪いと仕事もなくなり、およそ50歳以上や、すこし体が弱そうに見えたり、健康でないように見られると、雇ってもらえず、すぐアブレてしまう。
 アブレた人は、街中でブラブラ歩いたり、お酒を片手に仲間と話したりしている様子から、「昼間から仕事もしないでアルコール飲んでダラダラ遊んでいる」と見られがちであるが、じっさいには虚しさと寂しさと自己嫌悪と怒りで胸が一杯なのである。(2003年5月4日記)

アルコール 〔alcohol〕
 孤独感と虚しさにつかりすぎると、飲まずにはおれなくなるのは、キッチンドリンカーと同じ。アブレた人がそうしてビール缶やワンカップなどを手にして歩いていると、「昼間から仕事もしないでアルコール飲んでブラブラしている」という偏見のレッテルも貼られてしまうが、じっさいには本人の胸中は、虚しさと寂しさと自己嫌悪と怒りで胸が一杯である。
 また、「腹が減っていて、お金も無いのなら、少しでも栄養を取るべきなのに、あの人たちは酒ばかり飲んでいるのはなぜだ」という人もいる。が、彼らの本当の問題は、お腹の飢えよりも、心の飢えである。心の飢えを手っ取り早く満たすには、安い酒を飲むしかない。
 もちろん、体のためには普通に食事をとるほうがよいに決まっている。酒ばかり飲んでいると体が弱くなり、仕事につきにくくなる。また、アルコール依存症の問題も深刻である。ここにも死への悪循環が待っている。(2003年5月4日記)

アル中 〔aru-chu / alcoholic〕
 「アルコール毒」の略。「アルコール依存症」とも。
 飲まずにはやってられないから飲むのであるが、最初は飲まないと心が癒されない状態だったのに、やがて中毒に進むと心よりも体の方がアルコールなしではもたなくなってしまい、そして最後に待っているのは「死」である。(2003年5月4日記)



いきだおれ 〔ikidaore〕
  「行路病死(こうろびょうし)」ともいう。路上生活者がそのまま路上で息を引き取ること。
  釜ケ崎では、ひと冬に300〜400人近くが亡くなるという。

「いけたらいきます」 〔I will go if I can go.〕
  ボランティア・コーディネータとしてはうれしくない言葉のひとつ。
  来るのか来ないのかハッキリしないので、体制が組めず、けっこう苦しむ。
  ボランティア活動の「自由参加」「自発性」というものを誤解した結果出てくる表現。

いこい食堂 〔Ikoi Restaurant〕
  金井愛明牧師の主催する、炊き出し食堂。
  元来は文字通り「食堂」だったが、1995年以降、炊き出しに活動をしぼっている。
  (くわしくは「釜ケ崎資料室」の「いこい食堂」の項目へ)

「いっぺんやったらやめられへん」 〔Homeless is the best job.〕
  アブレホームレスについて、よく口にされる誤解。
  仕事もしないでブラブラしてても、ボランティア団体などの配給で食っていけるから、という発想から来るものだが、じっさいにはそういう発言をする本人の現在の職業にたいする不満ややるせなさから来ているものが多いように思われる。
  じっさいには、体が元気で、仕事さえあれば、自分の力で生活したいと思っている人のほうが多い。また、2000年頃からは、ホームレスの7割近くがリストラや倒産の結果ホームレスになった人たちであるとも言われ、決して好きでなった人たちが多いわけではないことがわかる。
  やってみるとわかるが、やることもなく一日何もせずブラブラしながら日が暮れるのを待つというのは、相当な苦痛である。(2001年8月3日記)



梅干 〔umeboshi〕
  「いこい食堂」では、毎日の炊き出しで配るおむすびに、梅干の果肉を入れている。
  また、そのおむすびと同時に、梅干の種を一人3〜4個(スプーン1杯分)配ることもある。
  この炊き出しで使われる梅干は、すべて「大浦農園」により、無償提供つまり寄贈されている。
  春・夏に漬け込んだ梅干が、秋・冬になってできあがってくる。その梅干を、「いこい食堂」のボランティアが実と種に分ける。手は真っ赤っかになり、さながらスプラッタ映画のようである。
  また、大浦農園に梅干の漬け込みの作業に出かけたりするのも、「援農」というボランティアの一環である。(2001年8月3日記)



援農 〔En-nou〕
  「いこい食堂」で使う梅干は、すべて「大浦農園」からの寄贈による。
  この梅干の漬け込み作業やその他の農作業を手伝いに行くボランティアが「援農(えんのう)」。
  「大浦農園」では、「いつでも、何人でもどうぞ」とのこと。
  ボランティアだけでなく、失業者の労働機会/労働訓練の機会にもできたら……というプランもあるそうである。(2001年8月3日記)



刈り込み 〔Karikomi〕
  行政やポリによる、野宿者・路上生活者の強制排除。
  天皇がやってきたりなどするときには、訪問先付近の野宿者を、無理やり引きずり出したり、追い出したりする。
  1983年に大阪城博覧会が行われた時、時の皇太子(現・平成天皇)が観に来るということで、「翌日に新大阪駅に来る」にも関わらず「その前日の夜に大阪駅で刈り込みをやる」という、奇妙奇天烈な事件があったという。
  「その日は台風の余波で大阪駅コンコースまで水が流れてくるような日なのに、ポリ公が駅にいた人を引きずり出そうとするんです。〔……中略……〕そうこうしているうちに土砂降りの雨で帰れない人も大阪駅に来て、数百人集まってくれました。そこでアジ演説をやった。築城祭りとはこんなもんや、こういうことをやりよると。当時は労働運動をやっている人もずいぶんいた。学校や教育関係の先生もおった。そりゃひどいなぁとお巡りに食ってかかる人もいて、数百人がそれをやると、とうとうお巡りは逃げていきました」(平井正治「野宿労働者排除の歴史とたたかい」(『飛礫』2000年12月15日号、つぶて書房、所収)p.106)



四角公園 〔Shikaku-koen〕
  萩之茶屋中公園のこと。「いこい食堂」の向かい。西成警察署の西隣。
  公園の前(北側)の電柱には、西成警察の監視カメラがある。
  「いこい食堂」は、四角公園で炊き出しを続けている。



炊き出し 〔takidashi〕
  栄養が足りず、体をこわしがちな労働者のみなさんのために、無料の食事をつくって食べていただく。
  「いこい食堂」では、おむすびを一人一個、これに日によっては梅干の種がついたり、たくあん・ゆでたまごがついたりする日もある。
  ただ、好きで失業や野宿をしているわけではない人びとにとって、無料の食事を受け取りつづけることには、複雑な感情をもっている人もいるであろう事は想像しておくべき。人によっては「屈辱」と感じる人もいるであろう。そのことは自分でかせいだ金で買い物をするバザーなどで見られるおじさんたちの表情を見れば明らか。(2001年1月3日記)


電車でGO 〔Densha-de-Go!〕
  ゲームのことではない。酔ったまま電車の駅のホームを、ホームレスの人が徘徊していたとする。それを警察が職務質問しても、酔っているので要領を得ない場合がある。すると、やっかいばらいの方法として、とりあえず電車に乗せてしまって、管轄から追い出してしまうのだ。これを警察官たちは「電車でGO」と言う。JR大阪環状線で目撃して間近で聞いたから本当の事。(2001年4月5日記)

テント村 〔tent-village〕
  ブルーシートや廃材などを用いた簡易の住居が、公園などに複数できて、一種の集落になった状態。大阪では、長居公園、大阪城公園などがよく新聞などに取り上げられる。ほか西成公園などにも。
  もちろん簡素な野営テントといった程度のもので何とか雨風をしのいでいるという人もいるが、長くなるとバラックと言っても、廃品を回収した発電機や小型のボイラーなども備えた、りっぱな住居を築いている人もいる。バラックの片隅に菜園まで作って一部自給自足を試みている人もいる。もちろん夫婦で住んでいる人もいるし、テント村内部の近所づきあいなども生まれてくる。こうなるともう単純には「ホームレス」という言葉を使うことがためらわれてくる。そこは立派な「ホーム」であり、地域社会なのである。(参考:「『ハウスレス』とはちがう」の項目
  確かにほとんどの人が失業していたり、食うにも事欠くような状況ではあるのだが、そこでは確実に、ある生活様式を確立しながら人間が生きている。望んでテント村に来たわけではなくても、人間は生きてゆかねばならない。生きてゆこうとする限り、そこに可能な限りの生活様式が生まれてくるのである。
  もちろんテント村の人たちに対して、行政は住民票を発行しようとはしない。そして、その事が、その人たちの就職をさらに困難なものにしている。しかし、実際にテント村という生活様式が厳然と存在しているのを見ると、住民票を出さず、履歴書も書けないような状況に追いやってしまっている行政のほうがおかしいのではないかと思えてくるのである。(2001年1月3日記)


ドヤ 〔Doya〕
  簡易宿泊所のこと。「やどや」の「どや」。
  古い、昔からの小さなドヤは、一泊650円くらいのものがあるが、現在の釜ケ崎の多くのドヤは、一見ビジネスホテルのような外観で、一泊1200〜1500円くらい。高いところだと2000円近くするところもあり、「ドヤ」という呼び名と印象が合わない。
  ひと昔前は1階を2層に区切ったり、屋上屋を作ったりして、3階建てを5〜6階にして労働者を押し込めていたりしたドヤが多く、火災が起こるたびに大量の死者が出て、泊まる者は命がけであった。そういうドヤに消防などの指導が入り、内装や概観を変え、現在のドヤがあるのだが、今度は値段が合わなくなってしまった。ただでさえ仕事がなくて、労働者はお金がないので、宿泊者は激減している。
  というわけで、空いているドヤが多いのに、野宿者が減らない、という皮肉な状況。
  最近は、「福祉マンション」に変身するドヤが登場している。


南港の簡易宿泊所 〔the Flophouse at Nanko〕
  年末年始だけ開いて、野宿者が泊まることができる。
  年末年始だけ釜ケ崎の人口が若干減り、炊き出しの行列が短くなるのは、労働者が南港に流れるから。
  ただし、この簡易宿泊所は、野宿者の福祉のために建てられたわけではないらしい。
  「年末になると南港に宿泊所のプレハブが二十数年前からなぜ建てられるかというと、あれは災害用のプレハブなんです。それを一年に一回南港で使うことで、組み立ての訓練と部品の点検ができるという。なにも野宿者のためにやってるのではない。何億もかかるからね。たまたま災害用があって、これに使っているということ。これからの災害はあんなものは役に立たないけれど」(平井正治「野宿労働者排除の歴史とたたかい」(『飛礫』2000年12月15日号、つぶて書房、所収)p.111)  

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   (同志社香里中高聖書科教諭 富田 正樹)


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