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〔最終更新日:2009年4月11日〕


ハウスレス 〔the Houseless〕
  ただ「宿無し」というだけなら、「ハウスレス」とも呼べる。
  しかし、野宿者の問題は、「ホーム」レス、であることに本質があるという指摘がある。
  「ホーム」とは、「その場所に存在する人と人との関係をしめす言葉」であり、「私たちを支える基本的で帰属できる共同体を指す言葉」である。(奥田知志(バプテスト東八幡キリスト教会牧師)「引き受けへの召し−ホームレス支援の現場からクリスマスを読む」『教師の友』2000年12月号、日本基督教団出版局、p.9参照)(2000年12月25日記)

バザー〔bazaar〕
  いこい食堂では、毎週水曜日午前、バザーを行なっている。リサイクルの衣服、石鹸などの日用品などが、格安で手に入る。下着などはほとんど新品で、気持ちがよい。
  安価とは言え、自分がかせいだ金で買い物をするのであるから、買い物しにくるおじさんたちの表情は明るく、誇りに満ちている。「つりはいらんでぇ、はっはっは!」と景気がよい。同じ人が、無料の食事配給である炊き出しの時とは打って変わった明るさだ。(2001年1月3日記)


フグ中毒事件 〔Fugu-Chudoku-Jiken〕
  1977年10月26日、四角公園でフグのキモで6人が死んでいた事件。
  何が問題かというと、警察署のすぐ裏で、6人の死体が死後9時間放置されていた、ということ。釜ケ崎と警察のかかわりを象徴するような事件。
  ところで、あの金井愛明牧師も間一髪で中毒死を逃れたという。
  「公園北側の食堂のKさんが、はっきり時間を記憶していた。それによると、六時頃通ったとき、『ウマソウだねー』」と声をかけると『食べて行かんか』と声をかけられた。粉ミルクの空カン位の中で魚のゾウモツらしいものが煮えていたという。急ぎの用があったので、『あとでよばれるよ』と『食べなくて助った』ということである」(平井正治『無縁声声−日本資本主義残酷史』藤原書店、1997、p.329−330より)
  ここに出てくる「食堂」が「いこい」のことで、「Kさん」は金井牧師の事である。

福祉マンション〔Fukushi-mansion〕
  行政からの援助金を受けて経営される、労働者向けのマンション。
  路上生活者・野宿者は、従来、住所不定を理由に、生活保護申請を却下されてきた。しかし、ふつうの賃貸住宅では、高額の敷金・礼金を取られるし、月々の家賃も日雇い労働者にはきつく(特に高齢者)、入居はとてもムリ。それで、住民票が取れず、年齢制限でクリアしていても、生活保護が受けられないという状況が続いていた。
  福祉マンションは、敷金も礼金も取らず、家賃も低く設定し、しかもその家賃もほとんど行政の補助金で埋めるようなシステムになっているので、労働者には福音。これで住民票が取れれば、生活保護も受けられる。
  現在、さきがけで事業を始めている福祉マンションにはドヤを改装したものもあり、中には、役所にいっしょに付き添ってくれたり、という親切な業者も出てきているという。
  釜ケ崎の再生の切り口として期待されている。


ホームレス 〔the homeless〕
 1.ホーム「レス」……「住所不定」者を差別する社会
  文字通り、「家なき人」ということになるのだが、再検証が必要な言葉。
  「家がないということがそんなに人間として異状なことだろうか?」という問い直しが必要。ヨーロッパでは「ジプシー」と呼ばれてきたロマ族がいるし、歴史を振り返れば、世界には遊牧民族・騎馬民族・海を住処とする人びとなど、「住所不定」の生活形態はいくらでもありえた。日本列島だって、海や山を移動しながら暮らす人びとは古来から存在した。
  釜ケ崎のおっちゃんたちにしても、労働を求めて日本中を旅しながら稼ぐのだから、このような移動式の生活形態をとる人びとととらえてもいいのではないか。
  いったい「住所がなければ国民ではない」かのように扱われ始めたのは、いつごろからなのだろうか? この国は住民票がなければ生活保護がもらえない。家賃を払える経済力がないと、保護が受けられないらしいのだ。このような行政がまかり通っているのは、「人間、住む所があって当たり前」という発想に、官民どっぷり浸かっているからではないだろうか。
  「住所を定めずに生きる人びと」への差別意識が、ふだん意識もできないくらい社会に浸透しているかぎり、少年たちが野宿者を襲撃しても、大人たちは責めることはできないのではないか。それは自分たちの差別意識の顕れにすぎないのではないか。
  私たちは、このホーム「レス」という言葉を、もっと慎重に使わないといけないのではないだろうか。(2000年12月10日記)

2.「ホーム」レス……自分を迎えてくれる人がいない状況
  ある野宿者襲撃事件において、投石された被害者であるはずの方が、
  「連中を責めんで下さい。夜中の一時、二時になって町を自転車でウロウロする。連中は、家があっても帰るところがないんじゃないか。帰るところの無い者の気持ちは(ホームレスである)自分にはようわかる」
  と呟いたという出来事が報告されている。
  「石を投げた側と投げられた側が「ホームレス」という言葉で結ばれる。ホームレスの抱える問題の深刻さは、住む家が無いということ以上に自分を迎えてくれる人がいないということなのである」(奥田知志(バプテスト東八幡キリスト教会牧師)「引き受けへの召し−ホームレス支援の現場からクリスマスを読む」(『教師の友』2000年12月号、日本基督教団出版局、p.9))(2000年12月25日記)

3.「ハウスレス」とはちがう。
  「たとえアパート設定をしたからとて問題が解決したわけではない。それは「ハウスレス」の克服に過ぎない。時々アパートを訪ねる。そこには万年床に座り込む孤独な老人の姿がある。依然ホームレスの本質的問題は、解決されていない。関係性の回復、無縁性の克服。私たちに示されている課題はそれだった」(前掲、奥田知志「引き受けへの召し」p.9(→出典元))
  「となると『ホームレス』とは、何も公園や駅で寝ている人々に限った問題ではなくなる。家庭崩壊、学級崩壊、地域社会の崩壊など既存の共同体や関係がことごとく崩壊する時代にあって、先述のごとく中学生のホームレスがおり、サラリーマンや「主婦」のホームレスがおり、ホームレスの老人がいる。多くの家持のホームレスが存在する。〈中略〉日本社会において、無批判に共同体や帰属を語る危険性は承知する。しかし、それでも人はホームレスでは生きていけないこともまた事実なのだ」(同書、p.10(→出典元))(2000年12月25日記)

ホームレス自立支援特別措置法 〔Homeless Jiritsu-Shien-Hou〕
 2002年7月31日、参院本会議で全会一致で可決、成立した法律。
 野宿者の自立支援と発生防止を国や地方自治体の「責務」とする。雇用対策や住居の確保、健康・医療対策や生活支援、生活相談、新たな野宿者の発生防止、などの緊急対策の具体化をうながす。また、国にはホームレスの全国実態調査を義務づけている。
 その一方で、公園などの公共用地が、「野宿者の起居の場として適正な利用が妨げられた時」には、「自立支援施策との連携」を図った上で、「法令の規定に基づき必要措置を取る」としている。つまり、強制排除の法的根拠ができたことになり、野宿生活を強いられる人の不安が高まる事にもつながっている。(2002年8月3日記・参考:毎日新聞、朝日新聞)

ボランティア 〔volunteer〕
 英語で「自発性」「自発的な活動」などの意味。「志願兵」の意味もある。
 語源はラテン語の"voluntas"(ヴォルンタス)。やはり「意志」「自発性」という意味。
 その一方で、この言葉は、新約聖書ラテン語訳では、もっぱら「(神の)御心」という意味で用いられる。ここから、「わたしたちのボランティア活動は神様の御心を行なおうとするものでありたい」という意志を生み出すことが可能である。

ポリ 〔Poli.〕
 警察のこと。釜のあちこちに監視カメラを設置して労働者を監視し、野宿を余儀なくされている人たちを追い払い、道路交通法の取締りと称して露天商の生活権を奪ってくれる人たち。
 釜ケ崎でいちばん立派な建物は、西成警察署である。


「もらってくれて、ありがとう」 〔Thank you for receiving my riceball.〕
 そういう気持ちで、つくったおむすびを炊き出しに並んだ人に渡すんだよ、と「いこい食堂」金井愛明牧師は言う。
 ボランティア参加者は、参加する回数を重ねるたび、この言葉の意味を自分なりに再解釈して深めてゆくのである。



寄せ場 〔Yoseba〕
 日雇い労働者が建設業者などに拾われてゆく場所。労働力の市場。
 大阪の釜ケ崎(かまがさき)、名古屋の笹島(ささしま)、横浜の寿(ことぶき)、東京の山谷(さんや)などが有名。

夜回り 〔Yomawari〕
  「いこい食堂」「いこいの家」では、毎週水曜日の夜9時から、路上生活を余儀なくされている方々を訪問し、安否をたずねてまわっている。
  特に越冬期の夜は生き残りの闘いである。大晦日の夜は、年内営業を終えた大阪いずみ生活生協の協力を得て、食料品を携え、通常の水曜夜回りのコースに加えて、西成公園のテント村、日本橋方面の路上生活者あてに年越しの訪問をする。
  「パトロール」という言葉を使っていた時期もあったそうだが、ポリを連想させるのでやめにしたそうである。(2001年1月3日記)

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 (同志社香里中高聖書科教諭  富田 正樹)




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